ワールドカップ観戦記
梅原 幹正

No35
 韓国版新幹線『セマウル号』は快適だった。揺れもほとんどない。
 Tさんは速攻、爆睡をかましてくれている。
 話し相手がいなくなったので、景色を楽しもうにも、釜山駅を出て何分かは地下鉄の車窓のごとく、両側に壁が迫っていて全くつまらなかった。
 が、それが途切れると、田園がどこまでも続
いていて、半島であるにも拘らず、大陸の風を思わせてくれ、かなりの感動をおぼえた。
 我々が乗車している席は自由席、つまり、最もチープな席なのだが、一席に一つずつ液晶TVが、前席に埋め込まれているというカタチで付いていた。
 ボリュームは、殆ど聞こえない程度に落とされている。もちろんしっかり聞こえても、何を言っているのかは判らないのだが、繰り返し流される映像は、観光案内であるようだった。
 釜山駅を発してすぐに行われたアナウンスは韓国語と英語で、日本語では行われなかった。だから、ちゃんと東大邱駅で降車出来るか不安になった。
 爆睡しているTさんは、何も考えていないのか、私に任せきっていたのかはよく判らないが、度胸が良いのには感心した。
 この時どうしてだか、4年前の98仏杯、フランス西部はナント市でクロアチア代表と対戦する日本チームを応援するため、パリ南駅から『TGV』に乗った時のコトを思い出していた。
 あの時のパリ南駅は、先の釜山駅が韓国代表の赤ジャージで埋まっていたように、日本代表の青ジャージで埋まっていた。
 その「ここは日本か」と思わせる状態に唖然とした私の横で友人が 「おい、見てみろよ」
と、顎を上げて叫ぶので「何事だ」と、私も見上げた先にあったのは、列車の出発時刻を知らせる案内板。
 そこには、ナント行きのTGVが4本案内されていた。
 4本の内、2本は日本の新幹線と同じく、列車名が番号で表示されいていた。私達が乗車する列車もちゃんと表示されている。
 後の2本は、号数ではなく、日本の旅行会社の名前が入っていた。
 TGVはざっと見たところ、10両〜15両ほどの編成、ということは、定員は1000〜2000人といったトコロだろうか。
 日本の旅行会社の名前が入ったTGVは私が見ただけだが、2本用意されていた。もしかしたらもっと多いかもしれない。
 ということはこの旅行会社、最低でも2000人分のチケットを、あのチケット騒動の中で確保していたことになる。
 どれだけの金を使ったのだろう。今思い出してみても、空恐ろしくなる…。
 むろん私達の乗車したTGVも日本代表ジャージだらけだった。
 しかし『セマウル号』の、我々の車輌には先の釜山駅ホームにいた赤ジャージが全く乗車しておらず、それが妙に不思議だった。
 やむを得ず、TGVに乗った時と同じように、降車駅は出発駅から何番目の停車駅かを路線図で確認、過ぎ去る駅を数えながら時を過ごした。
 釜山駅を出て1時間と少し経っても、車窓には何処までも田園が続いている。
 左斜め前に韓国人の両親と小学生くらいの子どもがふたりという、家族が乗車している。子どもはセマウル号に乗車するのは初めてなのだろう。はしゃぎまくっていて、それが少々騒がしかったが、馴れてしまえばそれすら子守歌といった調子で、こちらの瞼を閉じさせようとしてくれる。
 それを文字通り押し上げ押し上げしているうちに列車は東大邱駅に音もなく停車した。午後16時10分。定刻どおりだった。
 何故か到着数分前に起きてみせたTさんの様子に、閉じかけていた瞼を見開かされることになった私は、韓国第3の都市にある駅にもかかわらず、さして立派でもないホームに降り立って、完全に眠気を吹き飛ばされた。
 私達が乗車した車両の後ろから、続々と赤いジャージに身を包んだ人達が降りてくる。 「あの人達は何処にいたんだろ」
みたいなことを、唖然とした顔でいう私にTさんが
「私達の車両は外国人専用の車両だったのかもしれませんね」
と、適当なコト言ってきた。
「寝ていたあんたは知らないかもしれないが、私ははしゃぐ韓国人親子を見ていたから、そんな訳はない」と、罵りたくなるのを堪え、彼等赤ジャージの群と私達の立っている中間地点にあるホームから出るために設けられている階段へ向った。
 コンクリート製の、日本の駅校舎にあるそれと変わらない階段を、まるでラッシュアワー時のように、前の人の足を踏まないように気を付けながら昇る。
 昇り切ると、彩光の良いガラス戸の向うから韓国代表応援歌が大音響で響いてきた。  人々の靴音が早くなった。
 歌っているのは、韓国代表赤ジャージを着た3人の女の子だった。
 直径50センチ、高さ30センチほどのまあるいお立ち台が5b間隔で置かれていて、彼女達はその上に乗って歌っている。
 どうみても、チープで、場末の臭いが漂っていた。
 ここ大邱は、03日韓共催W杯韓国ラウンド最終戦が行われる会場で、東大邱駅はその玄関口である。更に言えば韓国第3の都市の玄関口でもある。
 そういう場所に、日本で言えば、近頃大阪市が立ち退きをさせようとして話題になっている天王寺の青空カラオケと良く似たコトをさせている韓国人の感覚が理解できなかった。
 女の子のために書いておくと。どの顔もそれなりにかわいい。だから韓国のアイドルグループかもと思ったが、前記の理由で、何やら見ているコトが忍びなく、赤い列が流れる方向へと歩を早めた。
 スタジアムまでのバス乗場は駅を西へ、道なりに進んだ先にあった。途中長さ50bくらいの橋を渡った。
 橋を渡りきった辺りがバス停だった。
 そこを基点に、川と並行に伸びている商店街は、どの店も営業をしておらず、シャッターが堅く下ろされている。
 そんなゴーストタウンに、バスに乗るためにと、並ぶ列が伸びていた。
 最後尾に向うため、300bは赤ジャージの列を眺めながら、歩かなければならなかった。  所々に韓国代表のジャージを着る日本人らしき人を見た。
 到着したバスを見ると、どれも、客を積み落としてしまいそうな威勢である。
 あの中に乗り込むのかと思うと、少し気が萎えた。
 ボランティアが人々を誘導している。
 我々の番が来た。
 どうやってお金を払うのかと迷っていたが、その心配はなかった。
 無料で運行されていたからである。
 こればかりは感謝してもしたりないくらいだった。
 3番目に乗り込むことになった。バスの内部は日本を走るそれと全く変わらない。
 ぎゅうぎゅう詰めを覚悟して、運転席側にスペースを確保した。
 だらだらと乗り込む乗客が定員の50lを占めるや我運転手、乱暴に扉を閉め、走り出してしまった。
 私達の一両前を走るバスに比べると、このバスがどれほど空いているかということが良く判る。
 信号で止まる。
 するとどうだろう。右側通行左側、反対車線を走る車を軽業師のようにかわしながら、韓国人―両親と子ども―一行がやって来る。誰もが赤ジャージ。同じく赤ジャージばかりを乗せたこのバスが、ガラガラであることを喜んだのだろう「乗せてくれ」と前方降車口を叩いた。
 が、我運転手は、一顧だにしない。
 もう一度扉が叩かれる。
 今度は振り向いた、が、加えられる軽い一瞥「あっちへ行け」と、追い払う手つきを示し、運転手は信号に従った。
 唖然とする私と、置いてけぼりをくらった家族を道路の真中に残して、バスは進む。
 暫くすると、片側4車線はある、ひどく埃っぽい大型道路が現れた。
 W杯に間に合わせるため、突貫工事で作ったに違いないというコトが、両脇に建つ家屋がえらくみすぼらしい事から良く判る。たぶん、もともと小さかった道を強制立ち退きさせて広げたんだろう。
 大邱市が発行しているパンフレットには、ここが『芸術とファッションの街』だと記されているが、どうみてもそのように見えなかった。
 もっとも、スタジアムに向うバスの車窓から見た範囲であるのだが…。
 車は市内を離れ、山中へ入った。
 そこに一本、線を引いたように作られた、今度はきれいな二車線道路を抜けた先がスタジアムだった。大型駐車場が、正面に見えるスタジアムまで、延々300bぐらい続いている。我々のバスは端っこに止まった。
 駐車場脇に、ニセモノグッズが露店されている。釜山駅や偽ブランドショップの隣にあった店と同じ品揃え、
 赤いジャージを着た人達の列がいよいよ濃くなってきた。
 その時『セマウル号』に乗車中、どうして4年前、TGVに乗った時のコトを思い出したのか。その理由が判った。
 赤ジャージを纏う人々の中にトルコ人を探していたからだった。
 4年前も日本人だらけのパリ南駅に、TGVの中に、対戦相手であるクロアチア人の姿を探していた。
 が、結局見つけられず、最初の一人を見つけたのは、チケットを渡す直前だった。
 そして今回も、同じように韓国人だらけの釜山駅、セマウル号の中で、私はトルコ人を、トルコ代表ユニフォームを着る人を、同じく探し続けていた。
 ここ、大邱のスタジアム前にも日本人は…、いる。
 しかし、トルコ代表のジャージを着た人は、どこにも居なかった。
 私の前を韓国人の親子が歩いている。
 父親の肩に抱かれたまだ幼い子は、ざわざわ騒がしい中、スヤスヤ眠りについていた。
 皮肉にも02年W杯を共催した日本と韓国、その両国と対戦する事になったトルコ。
 別にどちらを応援する気もなくやって来た私、安らかに眠る子には悪いけど「トルコを応援してあげようかな」と、思っている自分がいた。
 日本を破ったにっくき相手ではあるのだけれど…。(つづく)
【写真は大邸市全景=大邸市公式パンフレットより=】    

<<BACK 目 次 NEXT>>

copyright©洛南タイムス社