ワールドカップ観戦記
梅原 幹正

No29
 6月29日午前10時、韓国は釜山港国際フェリーターミナルに到着したことを告げるアナウンスが鳴った。定刻どおりだった。
 しかし、二等スタンダードの私達はすぐには降りられない。先ずは一等船室の人が下船口へ向うようにとのアナウンスが続けて行われたからだ。
 が、韓国人の奥さんを持ち、日本で働いているという大男はすでにいなかった。
 それから、20分近く経ってから、二等スタンダードの乗客も下船口へ向うようにとのアナウンスが鳴った。
 下船口はひとつしか設けられていないのを知っていたから「どうせ、並ばなければならないんだから」と、す
ぐには下船口へは向か わず、私とTさんだけの部屋となった4人部屋で寝転んでいると、予想通り、開け放たれたドア越しに見える廊下に、下船口から続く人の列が伸びてきていた。
 その中に、あの『Be Reds』という、プリントが入った赤いTシャツを着た人を見つけた。三位決定戦を観戦するために韓国は大邱へと向かうこの旅で初めて見た、赤い衣裳に身を包んだ人だったが、別になんの感慨も湧かなかった。一人だけだと、赤いTシャツは、周囲から浮いて見えた。
 並ぶ人の列が部屋から見えなくなったのを合図に下船口へ向かうと、ほとんど誰もいなかった。私達は最後にパンスター号フェリーを降りる乗客となった。
 下船するとマイクロバスが待っていたので、乗り込むと、コンテナが山積みされた港湾施設の中を縫うように走りだした。コンテナには『OOSAKA』『NEWZEALAND』などと書いてあった。何分走ったかは判らない。ただ、いくら走ってもコンテナの山積みが続くため、非常に安いツアーを選択していた手前、自身もコンテナに積み込まれてきたような感じがした。
 走りに走ったマイクロバスが、渡り廊下の入口で停まった。時計は11時30分を指していた。
 そこを潜り、オーストラリアはシドニーにあるオペラ座を模したという『釜山国際フェリーターミナル』の建物に入るや否や、ちょうどこの5年前、ソウルはチャムシルスタジアムで、私にチケットを定価で譲ってくれたグラサンかけた韓国人女性のように、いきなり腕を掴まれた。
 驚いて目をやると、身長160aぐらいでグレーのスーツを着、真っ黒のショルダーバッグをかけた女性がいる。
 小さな顔にやたら大きい目をしている。その目が、足が遅いためではなく、要領が悪いせいで鬼ごっこの万年鬼をしている子が、はじめて作戦通りに逃げる子を捕まえたのはいいが、捕まえられたことに作戦を立てた本人も驚いてしまっているかのように潤んでいる。その顔がとてもかわいいので、私は最初、この人を子供と思ってしまった。
 驚いている私に向かって彼女は「やっと出てこられましたね」と、日本語で言うや、私の手を引っ張って、ずんずん進みだした。進みながら「もう一組の方は一時間も前に出てこられて、貴方達を待っておられますよ」と、忙しなく言葉を発しながら振り返り、私とTさんの名前が大きく書かれた紙を見せた。
 この人がツアーコンダクターだった。
 しかし、早歩きのまま紙と私達を交互に見る大きな目の中の、これまた大きい瞳がきょろきょろ動いていて、いよいよ、高校生ぐらいにしか見えない。
 フェリーターミナルの建物を抜け、駐車場まで来ると、高校生にしか見えないツアーコンダクターは、漸くに私の手を放すと、走幅跳びの選手が行う助走のような勢いで茶褐色のライトバンに駆け寄り「お待たせしました」と、叫ぶや、立ち尽くす私達の方を振り返って「さっ、乗って下さい」と、ふたたび、目をきょろきょろさせながら言った。
 その勢いに追われるように乗り込むと、そこには、大きい日本人女性と、小さい日本人女性の二人がいた。目礼を交わす。
 最後に、跳乗るようにして乗り込んだ目の大きなツアーコンダクターは、ドアを威勢良く閉め、唐突に韓国語を発した。それがとてもきつい、命令口調のように聞えたので、私は相当に驚いてしまった。運転席に座したまま、じっと前方を見据えていた50歳ぐらいの男が、韓国語でぶつぶつと応じながら、長い腕をもてあますかのようなオーバーアクションで、パーキングブレーキを引くと、車が走り出した。
 港のゲートを抜けると、対抗併せて10車線はありそうな大型道路に出た。運転手は進路を東にとった。
 今、地図を見ると、南に広がる湾と並行に走る、釜山のメインストリートとも言える大型道路だった事が判る。が、両景はビルばかりで、海は全く見えなかった。
 自然渋滞が発生している。信号で停まった。
 ツアーコンダクターが『改めて…』というように座り直して、何か言葉を発しようと口を開く寸前、後方から、ハリウッド映画に出てくるパトカーのサイレンと同じ音が響いてきた。
 振り向くと、それと全く同じ形をしていたパトカーが迫ってきていた。
 (この人に聞いても、判る訳がないよな)と、中途で後悔しながら
「なにかあったんですか」みたいなことを、ツアーコンダクターに聞いてみると
「あぁ、あれは、信号で停まりたくないから鳴らしてるんですよ」と、口を手で抑えながら笑みを浮かべ「昔はサイレンまわすと、みんな道を譲っていたんですが、最近は『どうせ嘘だろう』と、思って、みんなよけなくなりました」と、楽しそうに、大きな瞳を輝かせた。
 車内が笑いに包まれる。
 ツアーコンダクターは笑いながら、運転席の男にも韓国語で何かを言うと、男も笑った。
 この運転手は日本語が理解出来ない、文字どおり運転だけが目的の人だったが、日本語でのやりとりを運転手にも韓国語で伝えるツアーコンダクターの優しさにより、日本語が飛び交う車内で孤立するコトから解放されいていた。
 この行為から、目の大きい人女性に好意を覚えた。
 パトカーが信号無視(?)したので、車窓が静かになった。
 再び『改めて…』と、いう顔をした女性は
「この度は私共のツアーを利用して頂きありがとうございました」と言いながら、名刺を差し出した。
 名刺にはこの人の名前と、韓国の旅行会社の名前があった。
 この19800円と言う激安ツアーが、韓国の旅行会社が企画したものだとは知らなかった…。  
 …パンスター号フェリーの出港時間は16時であった。しかしツアーパンフレットには『14時に大阪南港フェリーターミナルに来るように』と、なっていた。
「何故に2時間も前に行かなければならないのだろう」と疑問に思いながら、その通りの14時ちょうどに、大阪南港フェリーターミナルに着いた。
 既にTさん到着していた。
 眼前に広がる海からの湿った空気と、蒸し暑い梅雨空の空気のため、私達が住んでいる洛南地方の倍も不快指数が高く感じられる場所に居るにも拘らず、Tさんは建物の中ではなく、ガラス戸の前で私を待っていた。
 挨拶もそこそこに「ガイドとか、そういう人はいる」と、聞いてみると
「それらしき人なんていませんよ」と、そんな事はどうでもいいというような言い方で言ったTさんは、続いて「中は韓国人でいっぱいですよ」と、私を促した。
 言われるままに中を覗くと、日本人とは全然違う、顔の彫が浅い人達で中は溢れかえっていた。
 入口で立ち尽くしたまま、呆然とそれを見ていると後ろから誰かに後ろからぶつかられた。
 振り返ると、韓国人の叔母さんだった。謝りもしない、というか、ぶつかっても対して 、そんな日常に暮らしているような顔のまま通り過ぎられた。
 Tさんが「人と人の距離が日本人よりもはるかに近いと思いませんか」と、言ってきた。
 確かにそう見える。向かい合って喋りあっている人の顔と顔は、今にもキスするんじゃないかと、思えるぐらいに近い。
「確かにな…」と、応じながら建物内に入ってみると 、中がキムチの臭いで満ちていて、思わず引いてしまった。
 日本人も集まると、醤油や漬物の臭いがしてくるのかなと思って、ちょっと恐くなりながら、韓国人達を眺めていて、忘れてしまいそうになったが、ツアーなんだから居る筈のコンダクターとかそういう人を探したが、そういう人は全く居なかった。というか、まず日本人がいない。
 16時出港の船でゆくツアーなのに14時集合の意味が判らなくなった。14時に集合して色々と、コンダクターと打合せをしなければならないと思っていたのに誰も居ない。ここであっているのかどうか、そういう不安が頭を過ぎった。
 見ると。二階への階段が設けられていたので、韓国人の群から逃げるようにそこへ上がると、ガラス張りの展望台になっていた。
 窓外に、HPで確認したのと同じパンスター号が停泊していたので、ここであっていると安心はしたが、ツアーの筈なのに、誰も居ないのだけが不安だった。
 二階に上がったり、一階に降りたりしている内に、15時になった。すると、1階奥にあるシャッターが開いたので見ると、とても小さい、宝くじ売場と同じ位のスペースしかない乗船受付のためのカウンターだった。
 他にすることもないからと、韓国人の群から逃れるように、最後尾に並んだから、長々と待って、漸く来た自分の番で「ツアーなんでけど…」と、言ってみると「パンフレットを出して下さい」と、言われたので、言われたまま出すと、確認が行われ「どうぞ、お進み下さいと」言われたので、言われたまま順路に沿って進むと、出国カウンターが現れた。
 パスポートを見せ、道なりに進むとマイクロバスが停まっていたので乗り込むと、パンスターフェリーの、乗船口の前て停まった。 だったが、動き出してみると、流れるようにスムーズで「これならツアーコンダクターなんていらないや」と、思った。
 というような事を、出国時に誰も居なかった事の不安とともに話してみると「そうですか、でもそうやって、日本人の人件費を抑えているから、このツアーは安いんですよ」 と、目の大きいツアーコンダクターは笑った。
 相変らず、車は東に向っている…。
 笑い終えたこの人は、再び『改めて…』と、いうような顔付きで座り直すと、
「私の仕事は、貴方達をホテルにお送りすることだけが目的で、観光案内をするガイドではありませんので」と、言い、続けて「これより3ケ所のお土産屋さんを廻って、ホテルに向います」と、大きな瞳でまっすぐとこちらを見据えながら今迄とは違う、乾いた笑みを浮かべてみせた …(つづく)。

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