ワールドカップ観戦記
梅原 幹正

No27
 韓国は釜山港行きのフェリーパンスター号は16時、定刻どおり、大阪国際フェリーターミナルの岸壁を離れた。
 全長151・58b、総トン数4249d、552人乗りのこの船は、大阪湾口を入り組んだ地形に変えている大小の人工島を避けるため、右へ左へ、身をよじるようにして進んだ。瀬戸内の島々を縫うように進み、関門海峡を越えて日本海に出で、韓国は釜山港へと向かうこの船の、指し当たっての目標である、瀬戸内海の入口、明石海峡大橋が、前方に見え始める頃、舵取りが落ち着いた。
 船は上から2層目までが客室で、第1層の上が、展望デッキとして整備されていた。
 客室を出て、70×50b程の広さを持つ、学校の屋上のようなそこへと至るための鉄扉が、馬鹿力を吐きださねばならぬほどに重かった。
 漸く開けると、吹き飛ばされそうなほどの強い風に全身を叩かれた。危うく握り締めていた扉の捕口を放してしまいそうになった。もし手を放していたら、扉に全身を打ちつけられて、怪我でもしてし
まうところだった。
 展望デッキにいたのは、私にとっては意外な事に、韓国人ばかりだった。日本から韓国へ行く船だから、日本人と韓国人で半々だろうと思っていたが、確実に日本人だろうと思えるのは2、3人ほどだった。  97年ソウルに行った時は、あまり、日本人と韓国人の違いというものを感じなかったのだが、この船上にいる人達を眺めていると、日本人のほうが韓国人よりも、顔の彫が深いことに気が付いた。特に叔父さん叔母さんは、日本の叔母さん叔母さんよ りもはるかに平べったい顔をしていたので「歳を重ねれば重ねるほど、顔の違いが出てくるのかな」と、思った。
 出港して1時間と少しが経った17時15分、明石海峡大橋を潜り抜けた。
 この3年前、九州を旅行をした。ゴールデンウィークの頃だった。大阪から下関までは、電車や飛行機で行くよりもはるかに船のほうが安いと知ったので、今回のように、船を利用した。航路も出航時刻も今回とほぼ同じだったので、ほぼ同じ時刻に明石海峡大橋を潜った。
 往時は晴天だった。故に、空も大橋も、淡路の山々も、海も、神戸の街並も、夕陽の赤に、染まっていて、信じられないくらいの美しさだった。今から考えてみると実に不思議なんだけど、あれだけ夕陽色に染まっていたのだから、船の進行方向、つまりは西の空に沈みゆく太陽があると思って探したのだが、それが見つからなかった。焦って、西以外の空にまで目を向けたのだが、やはり、何処にもなかった。
 太陽を探すためにと、首を振りまわす作業に疲れた後、海面に目をやると、波のひとつひとつが、あまねく太陽光線を反射させ、赤くきらめいていた。波がうねる毎に、それが乱反射を繰り返すので、いよいよ太陽の位置が判らなくなり、いよいよ疲れてしまった。
 だからTさんが、私に変って、この船を見つけてきてくれた時=W杯観戦記12参照=、同じ航路を通るのだから「今度こそは太陽を見つけたい」という自分の思いを、3年前に出会ったこの僅か4`の海峡に浮かんでいた美しさをTさんに語っては、強くしていた。
 が、残念なことに、今回は今にも雨が降り出しそうな天気であったため、明石海峡を形づくるモノ全てが暗く、3年前の色は何処にもなかった。3年前には見つけられなかった太陽も、西の空にあっさりと見つかっていた。しかし、雲天に、押さえつけられているように小さく霞んでしまっていて、全てを染める力など、どこにもないようなはかなさで出ていて、ひどく落胆した。
「しかし、こうなるとは思いませんでしたね」
 西、つまりは船の進行方向から、強烈な風が吹いている。
 故に私の真横、正確に表現すれば東側にいるTさんは、吹きつける風に逆らうようにして声を出さなければならなかったので、自然、大声で、こう、話しかけてきた。
 船旅への期待を煽っていた手前、ちょっと申し訳なくなった私だったので「まっ、天候ばかりはしょうがないよ、梅雨時期に晴を期待しても駄目だろ」と、天気ばかりは神ならぬ身ではどうしようもないのに、弁解じみた科白を吐いてしまった。風上にいる私は、それほどの大声を出さなくても済んでいる。
 言いながら、3年前、あれほど景色を夕陽に染めていた太陽が見つからなかったのに、今回雲天に、あっさりとそれを見つけられたのどうしてだろうかと、悩んでしまった。3年前にここを通過した時、太陽は既に沈んでしまっていたが、よく晴れていたため、残光だけで、あれだけ赤かったのかもしれないと、結論づけた。
 私の弁解じみた科白を聞いた彼は、繰り返すが、風下にいるために大声で「空とは違いますよ」と、言った。しかしこの科白、言葉数が少ないため、まるで、悲鳴のように聞こえた。
 私の誤解だった。
 彼のこうなるとは、という科白は「まさか、韓国が三位決定戦に出てくるとは思わなかった」という事だった。
「三位決定戦に出て来て欲しいのは、アルゼンチンかフランス、う〜ん、ウルグアイでもいいな〜、あはは、待て待てイタリアを忘れていたよ。なにはともあれ、何処が来るか、わくわくだよね」と、三位決定戦にどんな強豪国が出てくるだろうかと、予選リーグと決勝トーナメントを見守っていた私たちの期待は、共催国である韓国の快進撃によって尽く打ち砕かれてしまっていた。
 家に衛星放送があるおかげで、スペインリーグをしょっちゅう見ている私、フィーゴ選手を擁するポルトガル代表の試合観戦がなるかもと、期待していたら予選リーグで退場者二人を出し、見慣れていた京都パープルサンガ(02杯時点、現在オランダリーグのPSV所属)のパクチソン選手の決勝ゴールに撃沈、イタリア代表は前述のごとく=W杯観戦記21参照=、スペインリーグのスペインも、エースストライカーラウールの欠場が響きPK戦でこれまた韓国に敗れた。
 テストマッチでは日本をこてんぱんにし、開幕戦では前回王者のフランスを破ったことで、にわかファンになったチーム、セネガルも、あまり感心のなかったチーム、トルコに敗れた。
「三位決定戦を観戦しに行くんだ」と、言っていた私に、トルコと韓国の試合を観戦することになったことが決定した6月26日「お前、ハズレタな」とメールを送ってきた奴がいた…。
 展望デッキにいる韓国人の年齢層は雑多だった。ほとんどの人が三位決定戦を観戦しに行く人達かもしれないと思っては、眺めていた。しかし、スタジアムで、街角で、韓国代表の快進撃を支えた「 Be Reds」と書かれた赤いTシャツを纏った人は一人もいなかったから、単に日本旅行の帰りという、人達なのかもしれない。おそらくは、その両者がいたのだろう。
 もしかしたら5年前、私がソウルはチャムシルスタジアム前で手に入れた「在日学生のために」と書かれたチケットの1枚を手にソウルへ渡り、私と同じように、そこで観戦した試合の素晴らしさが忘れられないと、観戦を決断した韓国がいるかもしれない。そうなると当然、横流しをされた(結局は私が定価で手に入れたから、横流しかどうかは不明)事により、結局観戦がならなかった彼等の一人が、今度こそはと、期待に胸が張り裂けそうになるのを押さえながら、この、吹き抜ける強い風に体を叩かれていたとしても、おかしくはない。
 そんなことを思いながら、平べったい顔達を眺めていると、どの韓国人も、始めて会った人とは思えなくなっていることが可笑しかった=W杯歓戦記23〜26参照=。
 表情が明るい。誰もが私のように雲天を怨むでもなく、それぞれのグループで、楽しそうにしていた。
 当然、韓国人には楽しい旅になっていただろう。
 彼等もどのような方法かは、全く判らないけれど、私と同じようにチケットを手に入れ「どこがくるだろうか」とわくわくしながら、この一ヶ月を過ごしていたに違いない。
 ここでも指摘したが、韓国で行われた試合は、韓国代表が出場する試合以外は、ほとんどガラガラだったから、この船上にいる「どんな試合でも観戦したい」と願って、三位決定戦のチケットを手にした韓国人は、韓国人社会の中でも、特殊な人であるかもしれない。
 そんなふうに願いながらチケットを手にした彼等は、三位決定戦に自国の代表が来ると決まった時、どう思ったんだろうかと、想像してみた。
 いくら有名選手が出てきても、会場をガラガラにするほど、他国の試合に感心を示さず、自国の試合のみに熱狂する普通の韓国人の、W杯に対する熱狂を@としたら、他国の試合にも感心があったため、何処が出てくるかも判らないのに三位決定戦のチケットをゲットした韓国人は、W杯に対する感心だけで@あった事になる、私のように。
 私のように、気持ち@のまま「何処が来るだろうか」と、W杯を見守っていた韓国人の、わくわくの先が、自国であると結論づけられた時の気持ちと、あの赤い熱狂@がプラスされたら、と、考えてみる。
 私は、有名選手のプレーを生で観戦できるかもと期待して、02年大会の観戦を続けていた。
 それは確かに、最初の希望から言えば、大ハズレになってしまった。
 船上で、Tさんにこうなるとは思いませんでしたねと言われた時、これから観戦しに行く試合にはトッティも、フィーゴも、ラウールもバティストゥータも、ディウフもジダンもいないことに恐ろしく、寂しいものを感じた。彼らのすべてが、遠く離れたヨーロッパでプレーしている選手ばかりだ。もう二度と、生でプレーをする姿を観戦するチャンスなど巡ってこないかもしれない。私は、彼らの一人一人が敗れ、泣き崩れている姿をTV観戦しながら、そういうことを幾度も思った。Tさんもそうだった。
 しかし、愉快な顔で旅を続ける韓国人達を眺めていると、日本代表が、敗れ、もうW杯にいないということを見せつけられているような感じがした。
 ドイツ人のひとりが、W杯に出場していないオランにする ダ人をため、オランダ語で「おまえら、W杯に出ていないだろう」というHPを制作している、という記事を読んだことを思い出した。
 どの韓国人も、日本人に『自慢してやる』みたいなことは何もしていなかったが、韓国人達はまだまだ、W杯を私以上に楽しんでいるのだということを思うと、有名選手のプレーを生で見たいと思っていた自分が、とても小さく思えた。
 02年大会が日本と韓国の共同開催であった事を、この船上で、はじめて実感した気がした。
 小雨が降ってきた。
「部屋に戻りましょうか」
 Tさんが言ってきた。明石海峡大橋は、はるか彼方で小さくなっている。
 船室に戻るべく、風が吹きつけるせいで、重くなっている扉を開けようと、ノブに手をやる前、再び展望デッキに目をやった。
 韓国人達は、相変わらず楽しそうだった。
 しかし、表情からは、二つの気持ちがプラスされた時の感情までを、読み取ることまでは出来なかった…。
 そういう気持ちを、今回の試合観戦で感じる旅になりそうだと、思った…(つづく)。

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