ワールドカップ観戦記
梅原 幹正

No26
 試合開始僅か2分で日本代表がゴールをあげた。
 初めて生で観戦した国際試合でのゴールだった。しかし、全く反対側での出来事であったため、ホテルに帰ってTVのニュースを見るまで、誰がゴールを上げたのかまったく判らなかった。
 会場が静まり返った。
 反対側ゴール裏では、青い波が熱狂していた。
『あっちに行ったら騒げてたのに』と思いながら眺めていたその時、私のすぐ横に、大きな韓国国旗がコンクリート剥き出しの床に突き刺さりそうな威勢で落ちてきた。殺意を感じて、思わず振り返った。
 大丈夫だった。何故なら、落としたであろう人
が、笑いながら謝っていたからだ。隣の夫婦はもはや何処かに行ってしまっていた。
「で、結局、そのハングルしか書いていないチケット、何と書いてあるのか、未だに判らないんですか」と、Tさんが聞いてきたのは、仕事が一段落した後、私が漸く来た三位決定戦のチケットを彼に渡した日のことだった。 「まあ、なんて書いてあるのかというのは、知りたいところなんだけどね」と、彼の席である02年杯のチケットを渡しながら言った。 それを眺めたり、透かしてみたりしながらTさんは「Nさんに聞いてみたらどうですか」と、言った。  Nさんは私とTさんが所属する会社に出入りする業者の方で、何年か前、共に韓国料理店へ飲みに行った時、その店を切り盛りする韓国人のおばさんとハングルで会話されていたのをTさんは覚えていたので、そう言ってきたのだった。私もそれを思い出した。だから「そうだな」と、会社に来たNさんに、5年前、ソウルで手に入れたチケットをみせてみた。
 Nさんはそれをまじまじと見つめ「このチケットには入場ゲートや座席番号などは全く書いていない」と、言われた。私はスタジアム周辺で、ブロック毎に座席位置を色分けしている看板を見ていたので、この万国共通の言語である数字というものが全く入っていないチケットであっても、ハングルではあるが、向かうべき通路が、色名としては書いてあるだろうと思っていたので、この答えは相当に意外だった。
「ニセモノじゃないですか」と言いながら、Tさんが吹出した。
「座るべき座席位置が書いていないって、そんなワケないじゃないですか」と、私はうろたえながら言った。
 座るべき席の番号が書いていないチケットって、どういうチケットなんだろう。この日を事始めに、日本国内でだが、何回か国際試合を観戦したコトのある私だったが、座席番号が書いていないチケットなんて見た事がない。「日本はなにもかも親切に出来ている」と、留学経験のある従姉妹が言っていたが、世界一親切に出来ているという日本よりは不親切に出来ているかもしれない韓国であっても、座席場所も書いていないチケットを売るということがありえるだろうか。
「自由席って書いてあるよ」
と、Nさんが言うと、Tさんは、笑いが止まらないというような顔になった。惚けてしまった。自由席って、あの8万人も入場できるスタジアムの何処が自由席だったんだろう。自由席っていうことは、先に行った人の勝ちという事になる。もしそうなら、スタジアム前は少しでも早く行こうとする人達で収拾がつかなくなるという事にはならないのだろうかと、現地でモギリにまで警官を配備しているという厳戒体制を身を持って経験していただけに、思ってしまった「自由席って、何処ですか…」と、私は、惚けた頭そのままで、Nさんに聞いてしまった。

「Nさんが知っているワケないじゃないですか」と、言ったのは笑い続けるTさんだった。
 NさんはTさんの笑い声の中、私の質問を笑い飛ばすでもなく、しかし返答もせず「この席、どうやって手に入れたんだ」と、逆に質問してきた。
「えっ、なんでですか」と、不思議顔をさらす私に向かって彼は
「このチケットは日本国内で手に入れたモノか」
と、私の予想をはるかに超えた科白を投げつけてきた。
 何の事か、まったく判らなかったが、ともかくもと「日本国内なワケないじゃないですか」と言い、このチケットを手に入れた過程をかくかくしかじか説明するとNさんもTさんに和するように、ひとしきり笑った後
「フ〜ン、でもこれは、日本国内から流れてきたチケットに違いない 」と、言った。
「日本から流れてきたチケットだって」私はますます混乱した。Tさんはいよいよ笑い出し、遂には止まらなくなった。
「ここにスタンプが押してあるだろう」
 こう言ってNさんは、チケットの一端を指差した。なるほど、見ると、既に11月1日にもぎられていたので、全てが残っている訳ではないが、半径約ひとセンチはある朱色のスタンプが押されている。この日まで全然気付かなかった。5年の月日を経て来たスタンプは、少々掠れてしまっているが、円内に、日本でいうところの行書体のような、ちょっと気取ったハングル文字が並んでいるのが、はっきりと判った「ここにはなんと書いてあるんですか」と聞くと「『在日学生のために』と書いてある」と、再び、私を驚かせるような事実を言った。
 Nさんによるとこのチケットは、日本にある朝鮮学校生徒のために用意された席であるとのことだった。
 ワケが判らなくなってしまった。前にも書いたように、私がこのチケットを手に入れたのは試合当日、それもキックオフの1時間前、さらにはスタジアム入口から100bと離れていない位置でのコトだった。どうして、そこで手に入れたチケットに『在日学生の方へ』と書いてあったんだろう。
 私にチケットを定価(2万ウォン=日本円で約2000円)で譲ってくれた、あの英語を上手に操つる、グラサン女はいったい何者であったんだろう…。

 韓国で開催された試合のチケットなんだから、印刷は韓国で行われたに間違いない。在日学生のためになんてスタンプが押されているということは、日本に渡る予定であったコトも間違いないだろう。もしかしたらこのチケット、日頃から日本に住む在日同胞の事を気にかけながら韓国に住んでいる人、もしくは団体が「一緒に我らが代表チームを応援して、韓国のことを偲ぶよすがにして下さい」みたいな気分で、日本へ送ったのかもしれない。しかし当然、朝鮮学校に通う学生全員にチケットが行き渡る程に遅れる筈はないから、各校は、観戦に行ける生徒を選ぶ時、悩みまくったに違いない。
 98仏杯最終予選をほとんど無配で通過した韓国代表チームの快進撃は、東京で日本相手に鮮やかな逆転勝利を納めた時から始まっていた。そういう強いチームを生で観戦したいとうずうずしていた子供達で、各校は満ちていたと思うからだ。
 日本の何処にある朝鮮学校でも、チケットを受け取った先生が生徒に向かって「韓国からサッカーの試合を観戦して下さいと、チケットが送られてきました。ソウルにまで観戦に赴きたい人は手を挙げて下さい」といえば「ハイハイ」と、喜び勇んでんで手を挙げる学生の姿が目に見えるよう。
 ヨレヨレの成績で最終予選を戦っていた代表チームの試合でさえ、一度は生で観戦したいと思った私のような大人がいるのだから…。
 恐らくすごい倍率であったに違いない。
「日本から流れて来たモノかもしれないな」と、Nさんは言った。定価で譲ってもらったと言えば「余りチケットなのかもしれないな」とも言った。
 しかし私は上記の理由から、それは断じて違うと思った。
 じゃあ、本当の理由はなんだろうかと、考えてみた。それは、善意の市民、もしくは団体が確保したチケットが日本に渡る前、つまりは韓国国内で横流しした者がいたというコトしか、考えられない。横取りの目的は、当然、プラチナ化しているチケット=W杯観戦記22参照=をプラチナ化したそのままの値段で売り、一儲けするためだろう。という結論しか出ないのだけれど、そうなると、定価で売った理由が説明つかなくなってくる。
 キックオフ一時間前だから、もはや投げ売りの気分で売ったんだろうか。
 悔しいけれど、私の想像力では、このチケットが私のところに収まった過程が全く検討つかなかった。  
 笑いの収まったTさんが5年前の私の混乱ぶりを教訓としたのか「ハングル語の勉強をしていきますか」と、聞いてきた。
 今更無理だろうと、応えながら思ったことがある。決勝トーナメントが始まってからも、大量に余っていることが発覚したため、急遽電話で売り出すことになったチケットについてのことだ。私も、予選リーグの頃から電話をしていたから判るのだが、あの電話販売は日本語だけでしか行なわれていなかった。という事は、日本にやって来ていた外国人サポーター達は、繋がりもしないインターネットにアクセスしてでしか、余りチケットを手に入れられなかったというコトになる。
 当時の新聞をひっくり返したり、インターネットにアクセスしても、当然あったであろう外国人の不満を、私はひとつも見つけることは出来なかった。誰も気にしてなかったんだろうか…。
 だからということではないが、外国人は、日本人のためだけにしか行われなかったとしか思えない電話でのチケット販売を、どんなふうに見ていたんだろう。と、今更ながら考えてみる。
 例えば4年後の06独大会、めでたく出場がなった代表チームを応援しに行こうと駆けつけた日本人サポーターの前で、ドイツ語しか通じない電話販売が行なわれたとしたらどうだろうと、考えてみたりする。
 日本に敗れたその日、ロシア国内で暴動が起こったコトを記憶している人は多いだろう。しかし、そのロシア代表チームがキャンプを張った静岡県清水市の人々に、お世話になったお礼にと、ロシアサッカー協会が保有する何枚かのチケットを無料で配った事を覚えている人は何人いるだろう。私はこれを書くためにと、色々調べてみるまで、そのコトをすっかり忘れてしまっていた。
 5年前、ソウルで観戦した、日本が2ゴールあげて韓国に勝利した試合のことは、鮮やかに記憶しているのに…である。(つづく)


※去る2月17日私が三位決定戦を観戦した韓国は大邱市で地下鉄火災により多数の方がお亡くなりになられました。現地は地下鉄に乗ることはなかったのですが、こうして当時の事を色々と思い出している最中に、こういう不幸が起りました事はなんとも辛いものがあります。紙上を借りてお悔やみ申し上げます。

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