ワールドカップ観戦記
梅原 幹正

No25
 しかしそれでも、モギリにまで警官とは「ちょっとやりすぎではないだろうか」「日本なら警官の数を増やすぐらいのコトで済ますんじゃないだろうか」と思うのは平和ボケが過ぎるからなのかもしれない…。
 韓国で製作され、世界中でヒットした映画『シュリ』のクライマックスはサッカースタジアムに時限爆弾を仕掛けた北朝鮮の工作員と、それを除去しようとする韓国の工作員との対決シーンだった。私は最初にこの映画を見た時、ハリウッド映画にも全くない、独特の緊張感が、映像から
伝わってきたことに衝撃を受けた。なんというか、この映画から、未だに韓国 ・北朝鮮の両国は朝鮮戦争の和平条約を結んでいない、休戦状態であると言うコトが、そういうコトをテーマに作られている物語の内容よりも、俳優の動き、銃のかまえ方、カメラワークから伝わってきた。休戦状態であるがゆえに、韓国の人たちが持っているであろう『いつミサイルが飛んできてもおかしくはない』という危機感が伝わってきた。
 北朝鮮の工作員が日本のサポーターに紛れてテロを起こすかも、というのは、韓国では本気で憂慮すべき事態なのだというコトが、この映画を見たとき良く判った。
 主人公である韓国国防部の男の彼女が実は北朝鮮から潜入してきた暗殺者だったというストーリーは、はっきり言って見る前からヨメテイタ。
 こういう“あれれ…”なストーリーは、日本ではつまんない、おはなしにもならないと、企画検討段階でポイされるような気がする。
 この時、配置された警備員は8000人を数えた。97年9月28日、東京で行われた日韓戦での警備員は1500人を数えただけだった…。


 警官が、私が奇跡としか言いようがない方法で手に入れたチケットを、あっさりモギリ、通してくれたので、安心した後暗がりを「ゲートはここで良かったらしいが、座席はあっさり見つかるだろうか」という新たな不安を抱えながら、ピッチを見渡す所にまで歩いた時間は、どれくらいあっただろうか。よく判らない。判ったのは少しづつの上り勾配であったことだけだ。時間は、もしかしたら3分もなかったかもしれない。前方に光が射し、そこに至り、再び陽光を浴びた時、少し目が眩んだから、暗がりに目が慣れるぐらいの時間を歩いたのは間違いないようだ。本当は前後左右を赤いジャージを着た韓国人に囲まれていたので、すこしづつしか進めなかったから、長い距離を歩いたような気になっているだけかもしれない…。
 そうして漸くにして立ったのはピッチからスタジアム頂点までを埋める観客席の、ちょうど真ん中あたりだった。
 ほんの少しの時間が経った後、漸くにして合わさった瞳で最初に捉えたのは「泥田か」と、思わせるほどに深い緑色をたたえたピッチだった。黒白のボールが転がっていた。それをトラップしたり、蹴ったりしているのは白いジャージに身を包み、試合前のアップをする日本代表の選手達だった。髪をポニーテールにしているのが、先日(2003年1月28日)引退を表明した北澤選手、背の高さが目立つのが日本への帰化果たした呂比須選手(引退)、名波選手に中田選手、そしてカズ選手と、Jリーグで見慣れた選手一人一人を目で追っていると黄金色に輝く地面が視界に入ってきたので、驚いて見直すと、センターサークルから向こう側のピッチという、ただそれだけのものだった。
 時計を見ると15時少し前だった。既に西の空に傾きつつあった太陽は、理由はあとから述べるが、後ろを振り向きたくないからと、私がピッチでアップする日本代表選手を凝視しながら、蟹歩きで歩いていた場所を含む観客席という壁に遮られ、光を届けられない、要するに日陰になっていたので、日本代表選手がアップしているところ、私が最初に見たところの芝の緑が濃かったのだが、センターサークルより向こうの芝は、既に西日となっていた太陽光線を充分に浴びていからという、たったそれだけの違いであったのだが、深い緑の上でアップする日本代表選手を追っていたため、その暗さに慣れていた目には、黄金色に見えていたのだった。


 BGMはもちろん大歓声。場内で聞いた喚声は、当然の如くダイレクトで響くため、蹲ったアルマジロを思わせるようなスタジアム外観を見上げる位置で聞いていたそれよりも数十倍の迫力を持っていた。総観客数は8万人ということだった。体が震えてくるのが良く判った…。

 
黄金色に光るそこには誰もいなかった。恐らく数分前までは韓国代表の選手がアップしていたのだろうが、今は控え室に戻り、再入場の準備でもしているようだった。
 キックオフの時間が迫っていた。
 暫らく経つと、日本代表選手達も控え室に戻ってゆき、遂には誰もいなくなった。歓声が少しづつ小さくなっていった。通路を歩き回る人々が段々に減り、人の流れが止まった。
 静まり返った観客席と、誰もいないピッチを眺めていると、経験したことはないが、大船の艦橋に立つ船長とはこんな気分なのかもしれないと思ったり、演奏前のオーケストラコンダクターとはこんな気分であるのかもしれないと思ったりした。
 Jリーグ観戦を楽しみながら、一度は観戦したいと思っていた国際試合を、遂に観戦するのだという意識の中で、漸く叶った舞台は、私の予想をはるかに越えた雰囲気を持っていた。眺めているうちに「こんなふうに、立っているだけで感動を覚えたりする世界というものに身を置くという経験を、死ぬまでに、あと、何回するコトができるだろう」と、思った。ここでこう思ったコト、もう一度こういう世界に立ってみたいと思ったことが、98年、私をフランスに行かせ、今02年大会にチケットを一枚でも多く手に入れたいと奔走したことに繋がっていたのだと思う…。


 これを書いている今は、8万人も入場していたスタジアムの中が静まりかえることなどあり得ないと、冷静に思っているが、当時は本当にそう感じていた。これから始まる試合を一瞬たりとも見逃さないようにと、観客の全てが先に90分間分の瞬きを済まそうと、声を押し殺し、瞼を上下させる作業に神経を集中させている、そんな事を思わせる時間だった。
 その観客席を詳しく見ようと、ピッチばかりに集中させていた視神経を観客製も詳しく眺めてみようと頭を上げると、自分のいる場所とは完全に反対側の観客席が、この日の空と全く同で“青色”であるということに気がついた。

それを眺めながら――――
「あ〜、日本代表のカラーである青色だ。さすがはソウルまで応援に来た人達だ。みんなレプリカユニフォームを着込んで、青色のゴミ袋を持って来ているんだから、あれだけ青いんだ、TVと一緒だな〜」などと思ったり「あれだけの人が訪韓しているのに、この日の前日、ソウル市内を観光した時、どうしてひとりの日本人にも会わなかったんだろう」「あの人達、昨日はいったい何処にいたんだろう。もしかしたら、日帰りだったりして」と、ソウルに来てたったの2日しか経っていなかったのに、歓声に沸くスタジアムの正反対に、日本代表のカラーである青を見たからかは判然としないが、一度も故郷を離れたことはないのに「望郷の念とはこんな気分なのかも…」などと、ノスタルジックな気分にも浸っていると、選手が入場してくる際に流れる名曲『FIFA ANTHEM』が鳴り響き、場内が、再び大歓声に包まれた。笛の音、太鼓の音があちらこちから、鳴り響いてくる。韓国の楽器であるケンガリの甲高い響きが、私の耳元で、気温15度、湿度30%の乾いた空気を震わせた。目の前を何10本もの紙テープが通り過ぎ、紙吹雪があちこちで散り乱れ、そのうちの多くが、観客席前の通路に立つ私の頭に降り積もった。

 これを払おうと、頭を振ったことにより、私ははじめて自分の真後ろを見ることになった。


 私は既にそのことに気付いてた…。


 しかし別のトコロに行けるワケがないと思っていたから、自分が座るべき席を探しもせず、この通路である位置に突っ立っていた。通路に立つ私は、相当に邪魔であったに違いない。何人もの人が私にぶつかって行き、自らが座るべき席に座り、キックオフの瞬間を待っていた…。間違っていた、私と同じゲートを潜り、私がチケットをもぎられた警官と、同じ警官にチケットをもぎとられ、私と同じ通路を歩き、私が座るべき席と、ごく近い場所に自分の席があったであろう人達は座るべきシートを確保しても、そこに座ろうとはしなかった。
 シートが背もたれすら設けられていないチープなものだったからではない。ひとつひとつに番号がついていただろうか。そのことについての記憶は、今はない。当時はそんな事を確認している余裕がなかったからだ。

 『FIFA ANTHEM』が鳴り終わるに併せるかのように、選手達がメインスタンドに向け、整列を終えた。
 国家斉唱に敬意を表して欲しいと、観客達に起立を求めるアナウンスが韓国語と、英語で行われた。人々が三々五々起立する。

 が、私の後ろに居た人達は立ちっぱなしであった。韓国国家が流れた。私には歌えるワケがない。私の周りに居る人達は声を張り上げていた。

 遅れてやって来た年配の夫婦が一組、息を弾ませながらやって来て、私の隣に立った。自然と目が合った。私が日本人であると気付いたのであろう。怪訝な顔をした。
「この子はいったい何を考えているんだ」そんな顔だった。

 されても仕方ない。

 私が突っ立っていたのはゴール裏、そう、韓国サポーター『レッドデビルズ』達が集う場所であったからだ。誰も彼もが真っ赤なジャージに身を包み、厳しい歴史を共有する相手、日本と戦う選手達に、殺気立った応援を続けていた。 
 私はスタジアムに入ってすぐにそのことに気付いていたから、一度も振り返らなかった。振返れば“さすがにタダでは済まない”と思ったのだ。だから私は、彼等の誰とも目が合わせずに済んでいた。
 初めて目が合ったのは、この穏やかそうな年配の夫婦だった。
 私が苦笑いを返した。そうする以外、どうすればよかったのだろう。
 『君が代』が鳴り始めた。
 真正面の観客席から、日本からやって来た1万人のサポーターの歌声が聞こえてきた…。(つづく)

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