ワールドカップ観戦記
梅原 幹正

No24
 97年11月1日、98仏W杯アジア最終予選韓国―日本が行われたソウルはチャムシルスタジアムにいたモギリは、黒い制服と、腰に警棒という完全装備に身を包んだ警官だった。  モギリは日本のように、女の子やボランティアが勤めているのだろうと思っていたので、キックオフ1時間前に、それもスタジアムの前で定価で譲ってもらうという、実に奇跡的な方法で手に入れたのはイイが、全てハングル文字で書かれているため、座席表を見ても何処の席が宛がわれて
 いるのか、全く判らないチケットを持っていた私は相当に焦ってしまった。  座席位置が判らないまま入場しても、女の子やボランティアなら「しょうがないな〜」という感じで、席へ誘導してくれるだろうと思って、気楽に構えていた。が、警官なら、そうはいかないと思った。それは、それだけ警備が厳重であると言うことを意味するのだと判ったからだ。
 警備が厳重と言うことは、スタジアムに入るまでのそこかしこに設置されていた座席表をチェックすれば、簡単に判る筈の座席を判らないままスタジアムへ入場しようとするヤツほど怪しい人間はいないと言うコトになり、取り押さえられてしまう可能性を思ったのだ。
 だが一方では「実に厳重な警備だ」「これこそ、過去には戦争にまで発展したこともある、サッカーの国際試合の雰囲気だ」と思って、感心したりもしていた。
 しかし、これは何時もこうではないようだ。何故なら02年大会、同じく韓国で観戦した三位決定戦の会場にいたモギリは女の子やボランティアだったからだ。
 では何故この日は警官が配置されたかについてだが、恐らく日本戦だから特別に配置されていたのではないかと思う。それは、サッカーでは韓国が圧倒的に強いという自負が韓国人達にあったから、日本に負けたら暴動が起こってしまうかもということではないと断言できる。
 そう断言出来る理由のひとつに『韓国代表チームは既にW杯出場を決めていたから、ソウルでの試合は完全な消化試合だったから』というのがある。
 私は試合が開催された日の前夜、ホテルでスポーツニュースを見ていた。サッカーについての報道は、野球や他のスポーツの後に行われた。司会者と女性アシスタント、それと解説者という、日本でやっているスポーツニュースと何ら変らない出演者構成で行われていたその番組の中で、彼らが何を喋りあっているのかは全然判らなかったのだが、予選リーグの勝敗表を提示していたから、日本がこの試合に負けたら、W杯出場が絶望的になるということを説明していたと思われる喋りの最後に、司会者が締めの科白として「東京×∞÷※△ソウル△▽〃∵イムニダ」と、笑いながら言い、それに和するようにアシスタントと解説者が笑ったのが印象的だった。きっと司会者は『それでも我代表は、東京で勝ったように、ソウルでも勝つでしょう』と言ったのだというコトが、言葉は判らなくても「既に予選突破を果たしたのだから、気楽に試合を観戦出来ますね」というのんびり気分から発せられた科白だと言うコトが、その笑顔と喋りから良く判った。
 しかしそれまでの日韓戦は、こういうのんびりした雰囲気の中で行われていたのではなく、とてつもなく危険な雰囲気の中で行われていたらしい。残念ながら私はそれまでの両国の試合がどれほど危険な雰囲気を醸し出していたかについては、日韓戦を観戦したのは、この97年のソウルが初めてだったから良く判らない。しかし想像することは出来る。例えば98仏大会予選の4年前に行われた、94米大会予選で韓国は日本に敗れ、W杯連続出場に赤信号が灯ったことがある。
 韓国は長年、サッカーでは日本に勝ち続けていた。だから韓国国内には「勝って当たり前」「苦戦の末の勝利すらあり得ない」と言った風潮が流れていたのだという。  それ故か、日本に敗れた次の日、韓国の新聞には『韓国併合以来の屈辱』と書きたてるところがあった。
 『韓国併合』とは韓国が日本の植民地になってしまうという事を書き込まれた1910年締結の条約を指すみたいだが、それを掲載した新聞がのような歴史観を持っていて、どのような性格を持っているのかということについての興味を横に置き、新聞の見出しに、韓国の人にとっては屈辱的ではあろうが、80年近くも前の、それも自国がなくなるというコトと同レベルで、サッカーの敗戦を新聞に書きたてるという事は、そういうことを言い出しかねないサポーターがスタジアムを囲んでいたというコトになる。
 02年大会、日本に敗れたロシア国内で、暴動が起こった。セネガルはフランスに勝った日を国民の祝日にした。シドニーオリンピックで金メダルに輝いたカメルーンは、その日を国民の祝日にした。
 こうした事例から、たかがスポーツとはとても呼べなくなっているサッカーの、それもサッカー以外のことではあるが、過去に屈辱を受けた日本との「勝って当たり前」と思われている試合が行われる会場は、恐らく今02年大会における韓国代表の試合会場の雰囲気以上の危険な何かがあったに違いない。何故なら世界中で、韓国を植民地化した国は日本だけだからだ…。
 しかし、97年11月1日に行われた日韓戦の舞台裏には『02年W杯を共同で開催する(96年5月31日に決定)のだから、友好ムードが高めてゆこうという気分があったから…』というのは想像だが、スタジアムに詰め掛けた韓国人サポーター達には「02年W杯を共同開催する日本のために、ここは負けてあげようよ」という気分、日本に負けても暴動など起こる筈がないといえる、理由があったのだということを、私は最近気が付いた。
 それは、この試合を録画しておいたビデオを見ている時、韓国代表のサポーター席に「Lets go to the France together(一緒にフランスへ行こう)」という、日本代表サポーターに向けてのメッセージが、一際大きな垂れ幕を使って表示されているのを見たからだ。この4年前に、ひとつの敗戦を『韓国併合以来の屈辱』と書き立てた新聞があった国の対応とはとても思えないメッセージではないのかと思った。
「そんなメッセージは、予選突破済の国が、まだ予選突破なっていない国に向けて、我々は余裕綽々であるということを誇示したいがだけのメッセージじゃないの」という考えも過ぎるけど、そうではないとは断言できそうだ。何故なら私はキックオフ1時間前であると言うのに、スタジアムの中から「戦争もかくや」と思わせるような韓国語による応援が発せられていたのを聞いていたからだ。
 恐らく韓国人達は、02年W杯を共に開催するのだから友好を高めていこうという気分の中で先の垂れ幕を作り、その気分のまま、スタジアムにやって来たのだろう。しかし観客席で応援準備などをしているうちに、自国チームが負けてもいいと言うコトが、生理的に許せなくなったに違いない。だから『戦争もかくや』というような応援をしていたのだと思う。それは当然の事だ。自分の応援するチームが負けてもいいなどと思う人なんて、いる訳がないからだ。しかしそうなると前述のメッセージを掲げたりする筈がない。何故なら日本が仏W杯の出場権を獲得するためには、この試合で韓国に、是が非でも勝たなくてはならなかったからだ。引き分けも許されない。それ程の事態に日本は追い込まれていた…。
 この事は先にも記したように、スポーツニュースでも解説されていたようだから、韓国サポータにもその事は十分判っていた筈だ。それでも前述の垂れ幕を掲げていたということは、彼等のうちの何人かには負けた時『韓国併合以来の屈辱』と書き立てている時には決して生まれ得なかった気持ちが湧いていたということは想像していいと思う。
 前にも書いたが、私はチケット獲得交渉の最中、韓国代表のジャージを着た人達に助けられた。負けただけで『韓国併合以来の屈辱』になる時には、彼等みたいな親切な人間がいたとは思えない。
 やっぱり『一緒にフランスへ行こう』というような垂幕は、予選突破がなって余裕だからという、たったそれだけの気分から、掲げたんじゃないと思う。

 だから、モギリにまで警官を配置していたのは、韓国が負けたときに起こる不測の事態ではなく、日本が負けた時に起こるであろう不測の事態に対処するためだったに違いない。  日本はこの試合の前、UAEとホームで戦い、勝てる筈の試合を引き分けた。その時一部のサポーターが暴動を起した。02年杯は開催国であるため、無条件で出場出来ることになっていた日本だったが、もし98年大会出場を逃していたら、02年杯はW杯に一度も出場したこともない国であるのに、開催国になるという、それまでに一度もなかった恥かしい態を世界中に晒すところだった。それは、メディアを通じて様々騒がれていたので、サポーターは危機感を募らせ、暴動に発展したのだった。
 ここでまたもや韓国に負けたり引き分けたりしたら日本のサポーターはどうなっていたのだろう…。


…しかし、こういう雰囲気の中で試合をする選手達の気持をどういうものなんだろう。国の代表に選ばれる事は嬉しいコトだと思う。しかし、降り注ぐプレッシャーはどんなモノなんだろう。全く想像できない。恐らく一生判ることはないだろう…。


 遂に私の番がやってきた。
 モギリである警官にチケットを見せる地点にまでやって来た。そこはもう、鼠色をしたコンクリートの、地肌が剥き出したままになっている低い天井と壁に鎧われたスタジアムの中である。外にいる時は心地よかった、日本晴れの空から降り注ぐ陽光が失われ、11月初めにしては強い冷え込みが身体を包んだ。
「ここではない」
 そう言って突っ返される事を覚悟しつつチケットを見せる私を、黒尽くめの警官が睨んだ。
「駄目か…」
 心の中で、大袈裟ではなく逮捕も覚悟した。
 が、警官は睨んだだけで、そのままあっさり通してくれた。よく判らないがこの正面通路で正解であったようだ。
 安心のあまり、少し惚けてしまった私だったが、立ち止まってはいられない。後ろから次々に赤い人達が流れてきていたからだ。
 そのまま、流されるまま、コンクリートで鎧われた薄暗いスタジアムの中を進むと、前方に光が射した…(つづく)。

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