ワールドカップ観戦記
梅原 幹正

No14
 さて、サウジアラビアがカメルーンに負けた日(6月6日)は、フランスがウルグアイと引き分け、グループリーグ突破が怪しくなった日でもあった。司令塔ジダンは韓国とのテストマッチで怪我をした影響で、開幕戦に続き、出場しなかった。我家の家宝(ジダンが地団駄人形)も、ドコカショザイナサゲ…。
 フランスは初優勝した98年自国大会では、得点力がないと噂されていたのだが、この2002年大会には、2001〜2002シーズンのイギリスリーグで得点王となったアンリ選手、イタリアリーグで得点王となったトレゼゲ選手、フランスリーグで得点王となったシセ選手の3人がFW陣に名を連ねていたので、得点力だけでも世界一といわれていたのに、一つのゴールも奪えていない上、ウルグアイとの試合ではアンリ選手がレッドカードで退場してしまった。また、仏大会で
は優勝するまでの7試合で僅か2点しか奪われなかった程の堅守を誇るチームでもあった。その時奪われた2点のうち、1点はPKによる得点だったから、崩されて、要するにセットプレー以外で奪われた得点は僅か1点しかなかった。
 その1点を奪ったのは、あの時日本を破って決勝トーナメント進出を果たしたクロアチアだった。彼等も日本と同じく仏大会が初出場だった。前述(ワールドカップ観戦記D02年8月10日付参照)したように、4年前、日本を破った試合を私は現地で観戦した。

 それは異常な暑さの中で行われた。
観客の8割、もしかしたら9割5分を日本人で占める会場の一角で“上半身裸”のクロアチア人サポーターが、9割を完全に圧倒するうなり声をあげていた。
「ありゃ、応援でも完全に負けていたよな」
試合後、あちこちで“完敗”を認めるセリフを9割は繰り返していた。私は、試合終了後、日本代表のロゴマーク(あの三本足の烏)が入った私のスカーフとクロアチア代表チームのタオルマフラーを交換してくれた少年の自信に満ちた青い目が忘れられない。

 そのクロアチアが2002年杯にも出場していた。仏杯でも活躍したプロシネツキ選手、日本戦でもゴールを決め、結果、得点王に輝いたシュケル選手は再び代表に選出されていたのだが、今大会、2人は全く良いトコロがなかった。シュケル選手の放ったシュートは一本…。プロシネツキ選手も初戦、それも、前半の45分しかプレーさせてもらえなかった。代表チームの監督を務めた人物は初戦であるメキシコとの試合に破れた後「彼らはもう衰えてしまっていて、見るべきところがない」と、自ら選出し、先発させたにもかかわらず、この2人をボロクソにけなした。
 「あの仏大会での栄光がもう一度見られるかも」と、日本まではるばるやって来たクロアチア人、本国でTVにかじりついているであろう多くの国民に期待された選手を、ボロクソにけなしたクロアチアの監督はどういうつもりで、それを言ったんだろう。
 4年前、初出場にして3位の成績を収める原動力となった選手達が、たった4年でこうも言われてしまうのは、30歳迄選手を続けられる事のほうが奇跡と言われるプロサッカー選手の宿命のひとつであるかもしれないが、陽炎発ち上るかと思われた灼熱の中行われた試合で見た彼等のプレー―息を忘れるほどに素晴らしかったプロシネツキ選手のドリブルと切り返し。ゆっくりと吸い込まれ、それが当った場所から、波紋が広がるようにネットを揺らしたシュケル選手の決勝ゴール―に、日本を破り、予選リーグ敗退を決定的にしてくれた相手ではあると判っていても、魅了されていて、それらが今もスローモーションを見るかのように瞼に焼き付いている私には、時の流れがなんとも言えず、つらい気分だった…。

 負けた国の国民である私でさえ魅了されていた選手をけなした監督の発言を、当のクロアチア人はどう思ったのか。フランスで出会ったあの青い目をした少年に聞いてみたいと本気で思った。初出場にして三位の成績を収めた選手達に、彼らはどれほどの愛着と期待を持っていたんだろう。日本がW杯で三位の成績を納めたコトがないだけによく判らないから、仏W杯で初出場を決めたから、今大会で初の勝ち点1を上げたから、決勝トーナメントに進出したからと大騒ぎした日本の状態を天秤にかけ、そこから三位決定戦まで進み、勝ったクロアチア人の気持ちを想像してみたいのだが、それは、平地に居るよりは近づけるだろうと期待して登った山の頂から見てもやっぱり遠いお月様のようで、想像してみるだけ虚しくなった…。
 まだお隣の国である韓国の躍進を想像もしていなかった頃の思い出。


 そのクロアチアとイタリアの試合でも、余りチケットが電話発売されていて、私もかけたのだが、結局繋がらならなかった。試合はクロアチアがイタリアの世界最高といわれるディフェンス陣を破って逆転勝利を収めた。クロアチアの若い、次代を担うといわれる選手達の活躍によるものだった。
 イタリアの選手は“誤審”があったから負けたのだと言い張っていた。2002年大会を揺るがし続けた“誤審”という言葉を最初に聞いたのは、この試合終了後に行なわれたイタリアのFWヴィエリ選手とインザーギ選手のインタビューによってだった。

 この試合、たった45分で売り切れた電話販売があったにも関わらず、空席が存在し、それは、前にも記したようにセンターサークル付近、つまりもっとも良い席だった。
 新聞によるとこの試合から、FIFAとバイロム社は『当日入場者数を公式観客動員数にしていた』のを『チケット販売枚数を公式観客動員数に変更する』と発表した事は、席が空いているのを出来るだけごまかすための作為だと報道していたが、ホントにそんなもんで誤魔化せると思っていたんだろうか。信じ難い…。もしホントに入場者数よりもチケット販売枚数の方が多いとなれば、チケットゲットはなったけど、都合により観戦できなかった人がいたという事になる。確かにそういう事例もあったようだ。が、しかし、



 ホントかよ。


 どうにも信じられないというのは、こっちが観戦したくて観戦したくて、しょうがなかったからなんだろうか。一体どういう人が、どういう理由で観戦を断念したんだろう。考えても詮無き事だけど…。


「100万件に1件しか繋がんないらしいよ」と、Fさんが言った。
 私は、自分の携帯電話ひとつだけでは、プラチナと化しているチケットのゲットはならないだろうと、同僚のFさんにも携帯電話を借りて、本気で“二刀流”でと、両耳にケイタイをあてて電話をかけたが、ダメだった…。


「全然駄目だよ、電話が繋がる奴なんかいるのかよ」と、久しぶりにあった大学からの友人Kに、一緒に行ったファミレスで八つ当たりする私に向かって彼は「俺の会社の先輩でさ、一次販売で当選した人がいるんだよ」と言った。
 そうか、やっぱりいるんだ、当たっている人って…。私が父、母、弟、祖母の名前まで使って出したのに当たらなかったあれを当てたヒトがいるんだ。羨ましい限り…。
「へ〜、やっぱ、当たってる人がいるんだね」と、見た事もない人に、本気で羨ましがっている私に向かってKは
「それでさ、俺、一緒に行けるんだよ」と、ファミレスのコーヒーをまずそうに飲みながらさらりと言った。
「え〜」


 彼の先輩が当てたという、6月12日のイングランドとナイジェリアの試合ではいったいどれくらいの余りチケットが出るんだろうか。電話販売枚数は、いったいどれくらいになるんだろうか。会場となる大阪は長居スタジアムの収容人数は6万人をコエテイタハズ。これだけの収容人数なら、相当の数が余っている筈と、100万人の中の一人、いやいや、借りた電話を併せれば、2台になるから50万人の中の1人でいいハズだと、Kからの幸運のお裾分けを祈った。


 長居スタジアムにいった事がないというKに、アクセス方法やスタジアムの様子を話している内に、長居といえば、日本代表監督を務めたトルシエ氏が最初に指揮を執ったのも長居スタジアムだったコトを思いだした。その試合を私は観戦した。相手はエジプトで、試合に勝ったのは日本だった。決勝点は中山選手のPKによるものだった。
 中山選手は先日発表されたジーコ監督率いる新生日本代表にも選出された。

 W杯に連続で出場したものの、今大会ではまったく良いトコロがなかったから、次の独大会には出場してこないだろうなと、シュケル選手やプロシネツキ選手の事を寂しく思っていた私は、6月9日、日本がW杯初勝利を収めたロシア戦の後半27分から出場し、日本中を沸かせてくれた中山選手の、今も続ける年齢に負けないプレーをどうしても生で観戦したいと、同じく長居で6月14日に行われる日本がチュニジアと対戦するグループリーグ最終戦のチケットゲットに挑むモチベーションを、さらに高めて行くのであった…。(つづく)

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