山と遺跡とオアシスの覚え書き
タクラマカン砂漠一周の旅
内田 嘉弘
第1回
 若い頃、スウェイン・ヘデインの『アジアの砂漠を 越えて』、オーレル・スタインの『中央アジア踏査記』、大谷探検隊の『シルクロード探検』を読み、その中に度々出てくるタマリスク、胡楊、タクラマカン砂 漠、樓欄 (ろうらん)、さまよえる湖・ロプノール湖、ニヤ遺跡、ミーラン遺跡、タリム河などの西域の言葉に魅せられた青春時代があった。
 自分の中に今までしまい込まれていたタクラマカンや西域への思いはあまりにも遠過ぎて手が届きそうになかったものが、近付いて来た時、それは手繰り寄せ なければチャンスは逃げてしまう。今回の旅はまさにそれであった。それはタクラマカン砂漠一周の旅であり、家内と初めての海外旅行でもあった。

 2002年9月9日14時50分、関西空港を発ち九州を掠めて上海上空近くから南下して広州には17時10分に着陸。広州は人口約1千万人、中国では五 番目の都市で、海のシルクロード・中国側の港の一つで、今も海外貿易が盛んだ。街は車が多いがうるさくない。クラクションを鳴らすと罰金だそうだ。
 『食は広州にあり』と言う言葉に、初日の夕食をつい食べ過ぎたのか腹が痛み出した。下痢だ。夜中トイレに何回も通う。これから先、永い20日間の旅が始 まるというのに、大丈夫だろうかと不安になったが、翌朝までにはなんとか治まった。広州を9時20分離陸。ジェット機は北北西に機首を向け、祁連 (きれん) 山脈を越えると向きを西北西に変えた。眼下に青い湖が見えて、乾燥した茶色の山並みが広がり、それらの山々の山頂付近が雪化粧し出した。


■ボゴダ峰見ゆ



トルファンへの高速道路と風速発電




トルファン市内の青果場




ブドウ祭りの山車



 ウルムチに近付いて来た頃、左側にボゴダ峰 (5445b) が真横に、屏風の絵のように広がり出した。私の席は右端の窓際だったから雪と岩の山肌が左側の楕円形の窓越しに通り過ぎて行くのが見えていた。13時20 分ウルムチ空港着陸。空港は今年五月から新しい建物になったという。中国側のガイド・馮 (ひょう) さんの出迎えでマイクロバスに乗り込む。ウルムチの街を通り抜け、国道312号線を行く。この国道は上海から伊犁 (いり) 迄で、4880`もある。途中で高速道路に入ると石油開発基地の炎が左に見え、右には風力発電の白いプロペラが50台以上並んでいる。そして、左側に雪と 岩とミックスした尖った峰々からなるボゴダ峰が見え出した。左から西峰 (5213b)、中央峰 (5287b) が並ぶが、その右にある主峰 (5445b) は少ししか見えない。続いてまた山群が現れた。第二高峰 (5362b) を含む峰々だ。
 このボゴダ峰へは1948年8月、シプトンとティルマンが北面のグラチマイロ氷河の末端にベースキャンプを設け、その氷河から試登している。北東稜から コルへ抜けたが、その先の尾根は急峻で難しそうだったので、南側の東稜を辿ろうとした。その稜は痩せていて、その上、頂上直下が急峻で適当なルートが見当 たらず、東稜上の5050b峰を登っただけで下山した。
 初登頂は、1981年の京都の山岳会隊で、5月20日北京を出発、車中三泊のSLの旅でウルムチに入り、バスとトラックで天池に向かった。天池を舟で渡 り、2日間のキャラバンでBCをベースキャンプ (3600b) に設けた。氷河上をキャンプT (3950b) へと進み、キャンプU (4700b) を北東稜のコルに建設し、北東稜上のドーム (5050b) へとルートを延ばし、9日と10日のアタックで山仲間の遠藤京子、宮川清明、中島睦美、三島明美さん達11名が頂上に立った。また、同年八月には、神奈川 県の天山会隊 (内田良平隊長) が西峰 (5213b) に初登頂している。
 ボゴダ峰が遠ざかると私の手帳には、
「ゴビの中にトルファン駅が見え、そこからトルファンまで50`あり、見渡す限りゴビ、ゴビ、ゴビ、ゴビの彼方に空に溶け込むように薄茶色の山が見える」
と記していた。


■暑い、低い、甘い所・トルファンへ



トルファン大飯店で催されたウイグル
族の歌と踊 り。最後は観客も引っ張り
出される

 天山の水によって開かれたオアシス・トルファンは盆地の底にある。最も低いアイデン湖は海抜マイナス154b、死海に次いで二番目の 低さで中国では一番 低い土地である。平均気温は夏で40度を超え夜になっても30度は下らず、冬はマイナス20度前後、マイナス40度になる時もあるとい う。年間降雨量は 16_の乾燥地帯である。夏は熱風が吹き、一年の半分は20b近い風が吹くため二重三重のポプラの防風林に囲まれている。人口は約24万人で7割がウイグ ル族で、街の西部にウイグル族や回族、中心部に漢族が住み、それぞれのバザールがあると聞く。
今日泊まるトルファン大飯店 (6階建) に着く。夕食まで時間があるので、街に出てブドウ棚通りや市場を散策する。人民広場は明日の

ブドウ祭りの中心会場のようで人々がその準備で忙しそうだ。道 路端の空き地にはトラック全体を船の形にして飾り、その上に地球儀を乗せた山車が控えていた。
 夕食後、ホテルの前庭にあるブドウ棚シアターでウイグル族の歌と踊りがあった。プロの歌舞団で踊り手は、女性が7、8人と男性2人 で、5人の楽器はダッ プ (タンバリンのような大きさで片手で持つ手鼓)、ドタールやラワープ (五弦) やチターによく似たもので演奏し、男女一人づつ歌手がいた。ガイドの馮さんがいないから、歌の歌詞が分からないが、踊りの仕草から、収穫を祝うものや、愛 の歌、男女の恋の掛合いのような内容に思えた。最後には観客も舞台へ、私も舞台に引っ張り出されて踊らされる羽目になった。私の踊りは阿波踊りか炭鉱節の 踊りになっていたのではと赤面の至りであった(つづく)。



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