ふたつの民族が対立して住む常夏の島国
フィジー諸島 かけ足見聞記
高橋内科医院院長 高橋 権也

第2回 彼らの先祖はわれわれ縄文人と共通の民族、ラピタ人


 フィジー諸島がヨーロッパ人によって発見されたのは1643年でした。そのころフィジーに住んでいた民族は、現在の人口の54%を占めるフィジー系フィジー人の先祖たちです。現在人口の40%を占めるインド系フィジー人は前回も述べましたが、19世紀にイギリス人が植民地政策で連れてきた人たちの子孫です。
 太平洋の島々の民族は日本人と同じモンゴル系です。しかし長い間に形質が変化しました。彼らは大きく分けてその特徴から3つの民族に分けることが出来ます。そのひとつはポリネシア人です。大柄で肥満、頭髪は直毛で長いのが特徴です。ハワイとニュージーランド、イースター島を結ぶ三角形の内側の地域に広がっています。メラネシア人は大柄で、肌の色は黒く、頭髪は縮れ毛で短いのが特徴です。アフリカの民族に似ています。彼らはパプアニューギニア、ソロモン諸島を中心に広がっています。ミクロネシア人は赤道より北の小さい島々、ミクロネシア連邦やキリバスなどに住んでいます。

 
 現在のフィジー系フィジー人はこの3つの民族が微妙に交じり合っています。ずっと歴史をさかのぼって検証しますと、彼らの先祖はポリネシア人の先祖であるラピタ人です。
 ラピタ人は日本の縄文人と同じルーツです。航海術に長けた彼らは4000年ほど前に、当時大陸だったインドネシア付近から黒潮に乗って北上し、日本に達しました。他の一部は3500年前にパプアニューギニアのビスマルク諸島付近から東へ移動し太平洋の島々に広がっていきました。
 ラピタ人の名前は精巧な線文様がほどこされた土器が、1952年、ニューカレドニアのラピタ遺跡で発見されたところから名づけられました。彼らはこの土器を使用した民族です。この土器は文様も焼き方も日本の縄文式土器とよく似ているそうです。彼らは海洋民族で優秀な航海術をもっていました。東方に航海し新しい島を見つけてはそこに住み着いていきました。彼らは文字をもたなかったために、ほとんどの文化は謎につつまれています。彼らが使った舟の形も原型を残していません。船体の脇に浮きがついたアウトリガー・カヌーで、帆もあったのではないかとか、カタマランという双胴船を用いたとも言われています。
 3300年ほど前にフィジーに住み着いたラピタ人は基本的には海洋民族で、魚や貝などを採集する漁猟採集民族でした。しかし、タロ芋を栽培しブタ、ニワトリなどを家畜として飼っていたようです。
 私たちがコーラル・コースト沿いの小さい村を訪れて村人たちと交流したときに、直径30pぐらいの大きな貝殻を持つシャコ貝の刺身をごちそうになりました。この貝はフィジーの近海で採れるそうです。ある考古学者の話では、フィジーで発掘された貝塚を調べると、時代が現在に近づくほど貝殻は小さくなるそうです。これは資源豊かな無人島に住み着いたラピタ人が島の資源を食い尽くしていく歴史を示しているそうです。人類が人口増加によって環境破壊をしていく原型を見るようで、複雑な思いです。
 ラピタ人は人口が増加し島の資源が枯渇すると、また新しい土地を探して海洋に乗り出したに違いありません。彼らは西暦1000年ごろにはイースター島に達しました。最後に南アメリカに達しましたが、既に住んでいたインディオに同化していったと思われます。
【写真はビチレブ島のコーラル・コースト沿いの村で:村人たちによる郷土芸能で歓迎をうけました。】

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